​御祭神
天照皇大神


(あまてらすすめおおかみ)

​ 天岩戸の神隠れで有名な神様です。一般的には太陽の神様と言われています。太陽光は全ての生命体を支えている原点であることから、あらゆる事にご神徳を発揮すると言われています。

 鎌数伊勢大神宮では椿海干拓事業の際に、工事の無事を祈願し、辻内刑部左衛門の大願を成就したという逸話から特に五穀豊穣、厄除祈願、工事安全、商売繁盛の御利益があると地域の人々より厚く信仰されております。


由緒

 鎌数伊勢大神宮(かまかずいせだいじんぐう)は、寛文11年(1671年)に干潟八万石総鎮守として創建された神明社です。
 江戸時代前期の寛文年間(1661年-1673年)に、辻内刑部左衛門と白井次郎右衛門らによって太田ノ胡水とも呼ばれた広大な湖である椿海の干拓が始められました。
 干拓事業が盛んに行われていた頃、農民たちからの強い反発と工事の失敗や事故が度重なり頭を抱えた辻内刑部左衛門はご神徳を得るために伊勢桑名藩主松平定重を通じ伊勢神宮御師である梅谷左近太夫長重に工事の無事を祈願しました。

 祈願を受けた御榊と御神札を湖に浮かべ風の吹くまま水の流れるままに流したところ、現在の社殿に近い東方の岸へと流れつきました。この場所から工事を再開すると不思議な事に農民からの反対もなく、また工事の失敗や事故もなく工事が進んだと言われています。

(椿の海干拓前の図)

 寛文10年11月21日(1670年)に矢指が浦の永井浜(匝瑳市吉崎浜)から九十九里浜へと椿海を流し、寛文11年に待望の大干潟が生まれ18の村ができた。この干拓された地を干潟八万石と言います。

 こうして椿海の干拓の大業が成されたことから、鎌数の地に伊勢皇大神宮より御分霊をおうつしして祀ったのが鎌数伊勢大神宮の前身だと伝えられています。

(椿の海干拓後の図)

​例祭
鎌数神楽


 鎌数神楽とは鎌数伊勢大神宮で行われる最も重要なお祭り(例祭)です。
 江戸時代中期の宝暦6年(1756年)から現在に至るまで一度も欠かすことがなく続けられているお祭りだと伝われています。
 毎年3月27日と28日の2日間とも(各日午前11時ごろから午後5時半ごろまで)境内の神楽殿にて「十二座神楽」と「稚児舞」が演じられております。
 鎌数神楽は昭和40年4月27日に県指定無形文化財に指定されており、神楽師と稚児(女子小学生)によって神恩感謝と五穀豊穣を祈念して奉納されています。



  

神楽師さん、お稚児さん
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